洋の自己紹介②~理学療法を探求した先の旦那さんの突然死~

【洋の自己紹介②~理学療法を探求した先の旦那さんの突然死~】

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こんにちは。
体と心をつなぐヨガセラピスト×理学療法士の洋です。

淡路島でフェニックス・ライジング・ヨガセラピーの個人セッション(オンライン)やクリパルヨガクラス(対面・オンライン)を通して、体と心をつないで本当の私で生きていくことをサポートしています。

今日は、洋の自己紹介①~私が一番欲しいものは手に入らない~の続きで、大学受験失敗~主に20代の私(正確には30すぎまで)が登場します。

獣医学部を目指していたものの、獣医は全て不合格でした。合格したのは、理学療法士養成校と特に資格のとれない動物関係の学科。私には兄がいて、兄は私よりも頭がすごく良くて、国立大学にも入れたけど、就活も就職した後も大変そうだったんですよね~。

それを見て「あ~私は楽したい」と18歳にして思ったのでした(3番目ならではの感覚?)。受験勉強に対する疲れや諦めの気持ちもありましたね。

でも、これからの大学生活は、確実に役立つ手に職を身につけよう、と思ったんです。一番欲しかった獣医は手放した上で、もう一度冷静に将来を考えたんです。その結果、理学療法士養成校を選びました。この時の私は、すごく現実的でしたね~。

それまでは、大好きだから突っ走って力づくでも手に入れる!という私のあり方。でも、この時は今目の前にあるものを横並びにして、一度受けとって選択する賢いあり方だったかな。

さてさて。

そんな私は、大学入学直後は、超やる気なし子~。でも、初めての病院見学で理学療法士の働いてる姿を見て「かっこいい~!」で一気にやる気スイッチON!!(なんて単純)その後、臨床実習でのちょ~撃沈体験とか色々ありましたが、晴れて理学療法士の国家資格を得ました。

私の場合、すごくラッキ~だったと思うんです。通った大学がとってもこじんまりして同級生は33人。上下のつながりも教員と生徒の関係もとっても密な学校でした。おまけに、理学療法の教育は、当時はディスカッションや体を使って練習し合うこともすごく多くて、楽しかったんです。

上下の関係が密だったことが逆に良くて、大学ではアルティメットというフリスビーの部活にも入って楽しかった。高時代は集団行動が嫌いだった私が、最終キャプテンにもなってしまうという・・・笑全然第一志望ではない理学療法士の大学だったけど、そんなことはあっという間に忘れて理学療法の道にハマっていったのでした~。

卒業後、一番油の乗り切った時期の私は、リハビリテーションセンターへ就職しました。

今は建て替えてしまったけど、最初の職場。朝早くに出勤、夜も病院の鍵が締まるまで仕事、休日も職場にいました。脳血管障害や頚損・脊損、難病、切断の方などホント沢山経験させてもらいました。リハセンターは三次元動作解析装置というものを昔から導入している施設で、研究にも力を入れていました。

その影響で、私も大学院への進学を希望してリハセンターを退職、整形外科クリニックに就職&夜間大学院生となりました。福祉援助工学という、主に人の動作を客観的に機械で解析して、それを臨床に活かすような研究をしていました。クリニックでの超忙しい臨床に加えて院の研究、病気の母のこと、彼(後の旦那さん)とのお付き合い。この頃の私は超ハードワーカ―でしたね~。

でも、当時はハードワーカ―とは感じておらず、ただキャリアアップしていきたい一心でした。理学療法の道に入り、理学療法の道を探求しまくった20代でした。

私、足部の研究をしてました足20代後半の時に、母が亡くなり、私は結婚し、それでも理学療法への熱は冷めずに無理は続きました。

そんな折に・・・

旦那さんが突然死したんです。洋の30代は、結婚して、1年で旦那さんが突然死する、というまさかのスタートを切ったのでした。

次回は、旦那さんが突然死して生き方が全くわからなくなってしまった~というお話からです。

今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。
体と心をつなぐヨガセラピスト×理学療法士 洋

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