洋の自己紹介①~私が一番欲しいものは手に入らない~

【洋の自己紹介①~私が一番欲しいものは手に入らない~】

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こんにちは。
体と心をつなぐヨガセラピスト×理学療法士の洋です。

淡路島でフェニックス・ライジング・ヨガセラピーの個人セッション(オンライン)やクリパルヨガクラス(対面・オンライン)を通して、体と心をつないで本当の私で生きていくことをサポートしています。

今日から3回シリーズで、わたくし、洋の自己紹介をします。今日は生い立ち~高校卒業くらいまでです。洋という人物のことが、少しでもあなたに伝わったら嬉しいです。

わたくし、洋は両親は共に熊本県出身の夫婦から生まれました。(そこから!?笑)3人兄妹の末っ子長女として生まれ、それはそれは可愛がられました。

小さい頃からしっかり者の長女ちゃんだったアタシ。でも、泣き虫でよくカーテンにくるまって立ったまま泣いていたんです~。そして、知らないうちに立ったまま寝る。気づくと布団で寝かされてることが何度もありました。(なんてかわいい)

幼稚園くらいまでは縦・横共に大きく、ぷくぷく体型。(今度実家から写真持ってきます!)入園式の写真は、既に園服がぴちぴち。それが小学生になると一気に痩せてきて、兄からは「お前の足はゴボウだ!」と言われるほど黒くて痩せた女子に変化しました。(ゴボウ女子)

幼稚園の運動会では、玉入れに勝った嬉しさで、男の子と初めてのはぐ♡その大胆さに両親は驚いたようです。

3~4歳ころからヤマハでピアノを習い始めました。音感は割と優れた方で、クラスの中でも一番上手でした。自分でも「超うまい、天才」と思うくらい、当時は自己肯定感が高かったように思います。

小学校に入ってからも、基本的には優等生タイプでした。徒競走が苦手という以外は、成績も良く、学校の先生からも褒められることが多かったアタシ。上に兄二人がいたので、プロレス技や一本背負いとかされて、傷は絶えませんでしたね~。

夏休みに両親の実家のある熊本に行くことが、一年で一番楽しみでした。この頃から田舎は好きだったのかもしれません。

母方のおじいちゃんはお坊さんで、命を大切にする人でした。だから、ペットショップで飼えなくなった動物をもらってきたり、猿や犬・鶏・オウム・魚などなど。動物を沢山飼ってたので、その影響もあってか、私も動物は大好きでした。

ピアノは続けていて、専門コースとか普通では通えないクラスに入ったりしてました。この頃、音楽の方面に進んで行きたかった私。でも、ピアニストになれるような弾き方の教育は受けてきておらず、結局中学上がる前にピアノの夢は諦めました。それ以後もピアノは続けて、結局20歳くらいまで続けましたが、この時期に音大を諦めたことが私の中では結構大きな挫折でした。

中学の時はテニス部、高校では剣道部に入りました。でも、私、実は集団行動が大嫌いだったんですよね~。休みの日は家でのんびりしたいタイプだったんです。だから、高校では部活を辞めて帰宅部へ。あまりいい辞め方をしなかったので、部活を辞めたことへの罪悪感を割と引きづりました。

そして、もう一つ大きかったのは、高校受験・大学受験で共に志望する学校の受験に失敗したんです。特に大学受験では、獣医を目指していたけど、獣医関係は全て不合格だったんです。受かったところが理学療法士の養成校と動物関係の別の学科でした。

音楽の道を諦めたこと・受験の失敗・それから失恋とかもあって、いつしか私の中では「私が一番欲しいものは手に入らない」という思い込みが出来上がっていったんです~。

幼少期は自己肯定感が高かったはずなのに、いつのまにか低くなっていました~。

次回は、大学受験に失敗した私が、それまでとは違った選択の仕方をしました、というお話から。

今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。
体と心をつなぐヨガセラピスト×理学療法士 洋

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